参加のお申込、
お問合せはこちらから。
詩は『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)より金子みすゞ著作保存会の了承をえて記載しています。無断での転載はお控えください。
本教材を非営利目的の青少年教育活動で使用する場合はご連絡ください。
明治36年 (1903年) ◎0歳 |
4月11日、山口県大津郡仙崎村七百九十番屋敷にて、父金子庄之助、母ミチの長女として生まれる。 本名テル。2歳年上の兄堅助がいた。 |
|
---|---|---|
明治38年 (1905年) ◎2歳 |
2月23日、弟正祐(雅輔)生まれる。 父庄之助、母ミチの妹フジの嫁ぎ先である上山文英堂書店の清国営口支店の支店長として清国に渡る。 |
|
明治39年 (1906年) ◎3歳 |
2月10日、庄之助、清国営口にて死去。遺族は、仙崎にて金子文英堂を営む。 | |
明治40年 (1907年) ◎4歳 |
1月19日、正祐、下関の上山文英堂書店店主上山松蔵の養子となる。 | |
明治41年 (1908年) ◎5歳 |
4月、堅助、瀬戸崎尋常小学校に入学。 | |
明治43年 (1910年) ◎7歳 |
4月、テル、瀬戸崎尋常小学校に入学。 | |
大正3年 (1914年) ◎11歳 |
3月、堅助、瀬戸崎尋常小学校卒業。以後、家業の書店を手伝う。 | |
大正5年 (1916年) ◎13歳 |
3月、テル、瀬戸崎尋常小学校卒業。 4月、群立大津高等女学校入学。 |
|
大正6年 (1917年) ◎14歳 |
親友田辺豊々代退学。 | |
大正7年 (1918年) ◎15歳 |
11月8日、叔母フジ、金子家で死去。 | |
大正8年 (1919年) ◎16歳 |
8月26日、ミチ、上山松蔵と再婚。 | |
大正9年 (1920年) ◎17歳 |
3月、テル、大津高等女学校卒業。金子文英堂を手伝う。 以後大正12年までの三年間、正祐がしばしば来仙。堅助、テル、正祐の文芸サロン続く。 |
|
大正10年 (1921年) ◎18歳 |
8月、上山松蔵倒れる。テル、九州大学付属病院に約1カ月半付き添う。 9月11日、正祐、作曲を始める。テル、北原白秋詩≪片恋≫作曲を頼む。 |
|
大正11年 (1922年) ◎19歳 |
11月3日、堅助、大島チウサと結婚。 | |
大正12年 (1923年) ◎20歳 |
4月14日、テル、母のいる下関の上山文英堂書店に移り住む。この直前、手づくりの小唄集『こはれたぴあの』を田辺豊々代に贈っている。 5月3日、下関黒川写真館にて写真撮影。この後、西之端町商品館内の上山文英堂支店で働き始める。 5月23日、正祐上京。この頃からペンネーム「みすゞ」で童謡を書き、6月に入って雑誌に投稿を始める。 10月4日、正祐帰関。 |
|
大正13年 (1924年) ◎21歳 |
7月6日、テル帰仙。8月15日、結婚した豊々代と車中を共にし、下関に戻る。 | |
大正14年 (1925年) ◎22歳 |
5月18日、正祐に徴兵検査の通知あり、松蔵養父とわかる。 7月21日、豊々代死去。この年の後半、テルに結婚の話がでる。 |
|
大正15年 (1926年) ◎23歳 |
1月6日、正祐、テルの結婚の話を聞く。正祐建白書をだす。 2月1日、正祐訪仙。翌日、三上山の麓で正祐涙の談判。 2月17日、テル、上山文英堂の店員と結婚、文英堂の2階で新婚生活を始める。 4月2日、正祐家出。これをきっかけに松蔵と夫の関係悪化、テル夫婦は文英堂を出て下関市大字関後地村一七二四に新居を移す。 11月14日。ふさえ誕生。下関市上新地町二三七九に転居。 |
|
昭和2年 (1927年) ◎24歳 |
夏、下関駅で西條八十に会う。 8月12日、祖母ウメ死去。 10月、熊本にある夫の実家を訪ねる。熊本から下関に戻って、従姉の高橋歌子さん方に泊まる。 11月、下関市上新地町二三七九にて、夫は食料玩具店を始める。屋号辰巳屋。この後、テル発病。 |
|
昭和3年 (1928年) ◎25歳 |
3月、島田忠夫商品館を訪ねるも、病臥していて会えず。 7月、正祐上京。就職後押しの手紙を、古川緑波に送る。正祐、文藝春秋社『映画時代』編集部に入社。正祐が不在になってから、夫より創作と手紙を書くことを禁じられる。 |
|
昭和4年 (1929年) ◎26歳 |
春、下関市上新地町一一九に移る。この年の夏から秋にかけて、三冊の遺稿集清書(一組は西條八十に、もう一組は正祐に託す)。 夏、4回目の引越し、下関市上新地町二四四九。この後病の床に伏している。9月26日付の葉書に「朝雑巾がけをすこししたら、また5日やすみました」とある。 |
|
昭和5年 (1930年) ◎26歳 |
2月、下関市観音崎町三百目九四ー二に別居。 2月27日、正式離婚、上山文英堂に移る。 3月9日、下関市亀山八幡宮隣り三好写真館にて、最後の写真を移す。 3月10日、上山文英堂内で死去。享年満26歳。 |
|
昭和41年 (1966年) |
当時大学1年生だった矢崎節夫、『日本童謡集』で≪大漁≫に出会い、強い衝撃を受け、金子みすゞ捜しを始める。 | |
昭和57年 (1982年) |
矢崎、劇団若草創立者である上山雅輔(本名・正祐)の存在を知る。 6月20日、面会。三冊の遺稿集、写真などを預かる。 |
|
昭和58年 (1983年) |
12月、朝日新聞がみすゞの遺稿発見と、全集発行を報じる。 | |
平成11年 (1999年) |
1月より、朝日新聞社主催「幻の童謡詩人 金子みすゞの世界展」始まる。下関で幕を開け、2002年9月の長門まで全国12か所を巡回する。 | |
平成13年 (2001年) |
金子みすゞの物語が、舞台、映画、テレビドラマで取りあげられる。 | |
平成14年 (2002年) |
生誕百年記念行事始まる。 | |
平成15年 (2003年) |
4月11日、長門市立「金子みすゞ記念館」開館。11月、生誕百年記念コンサート「みんなちがって、みんないい」開催(有楽町朝日ホール)。 | |
平成16年 (2004年) |
12月30日より、朝日新聞社主催「いのちとこころの宇宙 童謡詩人金子みすゞ展」(東京・松屋銀座)開催。全国5か所を巡回する。 | |
平成22年 (2010年) |
3月24日より、毎日新聞社主催「没後80年 金子みすゞ展〜みんなちがって、みんないい。」(大阪・大丸心斎橋店)開催。巡回展スタート。 |